江戸時代、大雨が降ると原田一帯は大水が出て、よく堤防が壊れ大きな被害を受けていました。村人は堤防の立て直しを奉行に願い出て許可されました。当時はときには堤や橋をつくる時には、生きている人を埋めて人柱にする風習がありました。村の甚内という若者が人柱に立つと申し出て、川底に人柱として沈んでいきました。以後、堤防が完成し、災害もなく豊作が続いたとそうです。
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甚内墓
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